想い鳥日記(omoidori`s diary)

日々のつれづれを心のままに、想い人に捧ぐ

「僕が四十二歳で脱サラして、妻と始めた小さな起業の物語」和田一郎著 を読んで

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アマゾンで予約して以来、今か、今か、と待ちに待っていたICHIROYA代表

和田一郎さんの新刊書がやっと届いた。

 「僕が四十二歳で脱サラして妻と始めた小さな起業の物語」(自分のビジネスを始めたい人に贈る二十のエピソード)である。

 前作同様、夢中になって一気に読み上げた。本当に、和田一郎さんは文章が旨い。

論理的で丁寧な文章表現なのに、一つ一つの言葉や文がとてもリズミカルで軽快だ。すっと心に染みわたって、和田さんの傍らで、和田さんのお話にずっと耳を傾けているような気持ちになる。

 前作で脱サラされたことは知っていたけれど、現在の地位を築くまで、それほど紆余曲折があったとは、この本を読むまでは想像もできなかった。

 会社を辞めてから、着物の販売に出会うまでの試行錯誤の様子が、まるでドラマのように綴られているのだが、奥様やお嬢さまはもちろん、双方の親御さんの様子などが生き生きと描かれていて、本当に読み応えがある。どうするの。どうなるの。と思わず引き込まれてしまう。

 現在、小説を執筆中とお聞きしたけれど、ほんと、納得のうまさです。

 10章で着物に出会えてやっとほっとするのだけれど、いつもメモを取っている(しかも賢い人が使うという方眼ノートに)ご様子を知っているだけに、どれだけ勉強されたか、どれだけ必死で仕事をされたかが、ひしひしと感じられ、感動と共感で胸がいっぱいになりました。

 英語に堪能なクリスチャンの奥様も、本当に素敵です。

この本は会社や組織以外で自分の居場所を見つけたい人のバイブルになるでしょう。

何といっても真実の物語、説得力、半端じゃないし、最後の最後まで、読者が無茶をしないよう、読者サイドで温かく語りかけてくれる、和田さんの優しさ、

 市場で、もっとお話ししたいと思っても、なかなかできないけれど、この本のお蔭で素晴らしいお話を沢山伺うことができました。

 でも、ほんとうにすごい。

 お仕事の傍らでこれだけの執筆活動ができるとは、まったくもって尊敬の一言です。

 

 

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何度も同じことばかり言うな!

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母の入院はいつも同じ病院で、今回で5度目になる。

そのたびに、毎回同じ書類を何枚も書くのが、ほんと、面倒くさい。

入院誓約書

外部からの問い合わせへの対処の仕方。

病室の料金への了承。

             など、など、など、

毎回,同じ書類に署名、捺印を繰り返し、同じ案内嬢から、同じ説明を聞く。

「入院保障金として3万円いただきます。」から始まって、いつも全く同じ説明である。

もうーうんざりする。

わかっているちゅーに。

前のデータか何か無いのかい。

この時代に、前回と同じ、とかクリックすると済むようにならんのかい。

と、さすがに最近は腹の立つことが少ないわたしも、ちょっと文句を言いたくなる。

 また、この案内嬢が、ロボットみたいな無味乾燥な物言いで、ほんとにロボットに

すればよいのに、と思ってしまう。

 病院というのはどこでも、こうなんでしょうか。

としたら、とんでもなく時代遅れじゃないですか。

 

 

 

 

 

長寿の悲しみ

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 87歳になる母は、大腿骨の骨折以来ほぼ寝たきり状態である。移動は車椅子を使い、最近は一人で立つこともできない。車に乗せることも困難になりつつある。

 しかるに、母とほぼ同年代、86歳になる知り合いの婦人は、未だに大きな荷物を一人で持ってバスに乗って移動でき、そして今も民謡を踊り、茶道をたしなみ、和裁を教えている。

 ほぼ同じ年数を生きて来て、この違いはいったい何だろう。この違いをもたらす違いは何か。と日々考えて、母ではなく彼女の生き方を参考にして来た。

しかし、先日、大きな不幸がこの元気な老婦人を襲った。何と彼女の60代の息子さんが急に亡くなったのだ。

心中いかばかりかと、お悔やみの言葉もない。

 

 年を取るということは、何と悲しいことであろう。

 80歳後半まで生きてきて、子供や孫たちが元気な母は、自分はすでに寝たきりである。

片や、自分は健康でカクシャクとしている人は、自分より若い家族を見送ることになった。

 どちらが幸せなのか。

 どちらが人として幸せなのか。

 どちらにせよ、長く生きるということは、それだけ深い悲しみを背負っているということなのだろう。

 そういえば、日野原重明先生も孫に先立たれたと嘆いておられた。

 いうまでもなく、 自分自身がいつまでも健康で、それ以上に家族も元気、という老後が理想である。

 願わくばそうありたい。

 想い描こう。

 理想の老後を。

 

風呂場でパンツを盗まれた

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ある踊りの指導者講習会というものに参加した。地方のグランドホテルでの一泊研修である。

費用も3万円必要だし、指導者という限りは、スペシャルでアカデミックな研修会かと、

勝手に想像していたのだが、ゴージャスなのはまだ誰も来ていなかった会場の雰囲気だけで、各地から集まったメンバーをみると、げげっと思わずのけぞるようなおばさん、おばあさんの集団である。

 ほぼ全員がそれぞれの地域のユニフォームのポロシャツを着て舞台の周りを踊るのであるが、250名以上が輪踊りをしている様子は、まさにゾンビの集団、USJのハローウィンよりも、よほど不気味である。(あくまでも全体の様子を言っています、きっと参加者の誰もブログを読まないと確信して。)

 おまけに、3人で一部屋という約束が、4人部屋に5人も押し込まれた。ちょっと修学旅行よりひどいじゃないの。7500円で泊まれるホテルに3万円もだしているんだけど。

 案の定、一人のいびきがやかましくて寝られない。悶々としていたけれど、どうしても我慢できなくて、夜中に温泉に入ることにした。やれやれ、やっと静かになったわい。と

ゆっくりお湯につかって出て来てみると、何、確かに履いてきたはずのパンツがない。

 ええーっ。浴衣と帯は残っているのに、パンツだけ見当たらない。2度目の入浴だから、履き替えたばかりで、着替えなんかもってないし。

 考えられることは、

  1. 誰かが盗んだ、旅行用に新しく買ったけっこう高価なパンツだったしね。
  2. ぼけたおばあさんが間違って履いて帰った。そしたら、間違えたのが残っているはずよね。
  3. 夜中の温泉だし、4人くらいしか入っていなかったから、誰かがわざと嫌がらせをした。

      要するに、人のパンツを盗むような 人がいる集団だったということでしょうか。

     うーん。しかたがない。と、ノーパンに浴衣で部屋まで帰って、こっそりと部屋で   履いたけれど、

 

   納得の行かない話よね。踊りが好きで、とにかく踊りなら何でもいいと思っていたけれど、ちょっと

       引いてしまいそう。

    とにかくかつて経験したことのない貴重な体験でありました。

      

 

 

 

 

ここは俺がくいとめる、お前は先に行くニャー

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「ここは俺がくい止める。お前は先に行くニャー」という言葉に魅せられて

思わず買ってしまった、猫の吸盤スタンド。

 そのキャッチコピーに、過去の記憶が蘇ったからである。

 41歳で突然死をした恋人は、いつも私をかばってくれた。たとえば、

車の運転の免許を取ったばかりで、彼のあとをノロノロ運転でついて行く私を、

交差点にさしかかった時は必ず、自分の車を楯にして他の車の通行を妨げ、私を先に

行かせてくれた。

「ここは俺がくい止める。お前が先に行くニャー」である。

 映画でもドラマでも窮地にさしかかった時に、必ず、自分が楯になって主人公を助ける役がある。けれども彼は決して主役ではない。主役を助けようと奮戦して息絶えるのが常である。主人公はそうして助けられて生き残り、観客はほっとするのであるが、同じように、

自分の車を楯にして、私をかばってくれた人は、力尽きたように突然に帰らぬ人となった。

 別に私が主役で彼が脇役であると言っているわけではない。けれど、もともと心臓が悪かった人に心配をかけすぎた私は、今も心の中でそっと手を合わす。

 そして、考えるのである。今度は私が

「ここは俺がくい止める。」と言う番ではないかと。

 もちろん、私が命を懸けて守るのは息子たちであるが、

けれども、もっと広く考えると、

「ここは俺がくい止める。」と言わなければおけないのは、私たちの世代全体ではないのか。

地球の温暖化を。

自然破壊を。

紛争へと進んでいく社会を。

「ここは俺がくい止める。お前は先に行くニャー。」と

私たちが、これからの若い世代のために、力を合わせてくい止めるべき時が来ているのではないか。

そう思うことが、先に逝った人たちへのせめてもの恩返しである。

 

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最後の教育

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 久しぶりに祖母の見舞いに行った息子が、心配そうに言った。

「おばあちゃんと話ができる?苦しそうに顔が歪んで、少しも話をしなかった。」

 これは大変とすぐに駆けつけると、母はぽつりと言った。

「来てくれたのが嬉しくて、声を出すと泣いてしまいそうだった。」

そうか、息子が言っていた顔が歪んで苦しそうだったというのは、うれし涙をかくしていたためだったのか。

 30年前のこと、2度目の結婚にも失敗した私は3人の息子を連れて実家に舞い戻ってきた。そんな私を、母は、「戻ってきた娘は宝ですよ。」と近所の人が言ってくれた、と静かに笑って心よく向かい入れてくれた。

 そして、私の勤務の間、育児を一身に引き受け、孫たちを立派に育て上げてくれた。

そんな母にとって、生長した孫が自分の見舞いに来てくれるのが、よほどうれしかったのだろう。

 母は小学校の教師であった。おそらく自身の信念を持って孫たちを育ててくれたのだと思う。

 そんな母が、今、また皆に教えてくれている。

 人が老いるということがどういうことなのか。

 肉体が老いるということが、どれほど過酷な現実なのか、を

 身をもって娘や孫たちに教えてくれているのだ。

 

 おそらく、これが母にとっての最後の教育なのだろう。

ありがとう、おかあちゃん。

いつも感謝しています。

 

日野原重明先生104歳フォーラム

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ステッキを振り回しながら、舞台中央に立ち止まると、いきなりよく通るバリトンの声で

「ニューエルダリーの歌」を歌い始めた、「日野原重明先生 104歳フォーラム」がすごかった。

 57歳の時、ハイジャックされたよど号に乗り合わせ、命が助かって大地を踏み締めた時から、残された命を人々のために生きようと決心されたという。

 出会いの大切さ

 生き方は変えられる

 その他、

 読みやすいパワーポイントも自分 で作られ、終始、用意されていた椅子に座ることなく、

最後は花束まで自分で受け取って、ステッキをふりふりしながら退場された。

顔色もよく、声にも張りがあり、とても104歳には見えない。

すごい。この人は不死身なのか。

 その舞台は、素晴らしい講演内容とともに日野原先生の愛が満ち溢れていた。

 自分の元気な姿を見せることで、会場の人々を励まそう、というひたすら無償の愛である。

そして言うまでもなく、会場全体が感動で包まれた。

前座の板倉徹先生の「100歳まで元気な脳を創る秘訣」の講演も、西陽子先生の

筝曲の演奏もとてもよかったし(コーラス部の発表はそれなりだったけれど)

内容充実のこのフォーラム、ほんと価値ある1000円でした。

 

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