ここは俺がくいとめる、お前は先に行くニャー
「ここは俺がくい止める。お前は先に行くニャー」という言葉に魅せられて
思わず買ってしまった、猫の吸盤スタンド。
そのキャッチコピーに、過去の記憶が蘇ったからである。
41歳で突然死をした恋人は、いつも私をかばってくれた。たとえば、
車の運転の免許を取ったばかりで、彼のあとをノロノロ運転でついて行く私を、
交差点にさしかかった時は必ず、自分の車を楯にして他の車の通行を妨げ、私を先に
行かせてくれた。
「ここは俺がくい止める。お前が先に行くニャー」である。
映画でもドラマでも窮地にさしかかった時に、必ず、自分が楯になって主人公を助ける役がある。けれども彼は決して主役ではない。主役を助けようと奮戦して息絶えるのが常である。主人公はそうして助けられて生き残り、観客はほっとするのであるが、同じように、
自分の車を楯にして、私をかばってくれた人は、力尽きたように突然に帰らぬ人となった。
別に私が主役で彼が脇役であると言っているわけではない。けれど、もともと心臓が悪かった人に心配をかけすぎた私は、今も心の中でそっと手を合わす。
そして、考えるのである。今度は私が
「ここは俺がくい止める。」と言う番ではないかと。
もちろん、私が命を懸けて守るのは息子たちであるが、
けれども、もっと広く考えると、
「ここは俺がくい止める。」と言わなければおけないのは、私たちの世代全体ではないのか。
地球の温暖化を。
自然破壊を。
紛争へと進んでいく社会を。
「ここは俺がくい止める。お前は先に行くニャー。」と
私たちが、これからの若い世代のために、力を合わせてくい止めるべき時が来ているのではないか。
そう思うことが、先に逝った人たちへのせめてもの恩返しである。