最後の教育
久しぶりに祖母の見舞いに行った息子が、心配そうに言った。
「おばあちゃんと話ができる?苦しそうに顔が歪んで、少しも話をしなかった。」
これは大変とすぐに駆けつけると、母はぽつりと言った。
「来てくれたのが嬉しくて、声を出すと泣いてしまいそうだった。」
そうか、息子が言っていた顔が歪んで苦しそうだったというのは、うれし涙をかくしていたためだったのか。
30年前のこと、2度目の結婚にも失敗した私は3人の息子を連れて実家に舞い戻ってきた。そんな私を、母は、「戻ってきた娘は宝ですよ。」と近所の人が言ってくれた、と静かに笑って心よく向かい入れてくれた。
そして、私の勤務の間、育児を一身に引き受け、孫たちを立派に育て上げてくれた。
そんな母にとって、生長した孫が自分の見舞いに来てくれるのが、よほどうれしかったのだろう。
母は小学校の教師であった。おそらく自身の信念を持って孫たちを育ててくれたのだと思う。
そんな母が、今、また皆に教えてくれている。
人が老いるということがどういうことなのか。
肉体が老いるということが、どれほど過酷な現実なのか、を
身をもって娘や孫たちに教えてくれているのだ。
おそらく、これが母にとっての最後の教育なのだろう。
ありがとう、おかあちゃん。
いつも感謝しています。