想い鳥日記(omoidori`s diary)

日々のつれづれを心のままに、想い人に捧ぐ

長寿の悲しみ

f:id:omoidori5:20150915055759j:plain

 87歳になる母は、大腿骨の骨折以来ほぼ寝たきり状態である。移動は車椅子を使い、最近は一人で立つこともできない。車に乗せることも困難になりつつある。

 しかるに、母とほぼ同年代、86歳になる知り合いの婦人は、未だに大きな荷物を一人で持ってバスに乗って移動でき、そして今も民謡を踊り、茶道をたしなみ、和裁を教えている。

 ほぼ同じ年数を生きて来て、この違いはいったい何だろう。この違いをもたらす違いは何か。と日々考えて、母ではなく彼女の生き方を参考にして来た。

しかし、先日、大きな不幸がこの元気な老婦人を襲った。何と彼女の60代の息子さんが急に亡くなったのだ。

心中いかばかりかと、お悔やみの言葉もない。

 

 年を取るということは、何と悲しいことであろう。

 80歳後半まで生きてきて、子供や孫たちが元気な母は、自分はすでに寝たきりである。

片や、自分は健康でカクシャクとしている人は、自分より若い家族を見送ることになった。

 どちらが幸せなのか。

 どちらが人として幸せなのか。

 どちらにせよ、長く生きるということは、それだけ深い悲しみを背負っているということなのだろう。

 そういえば、日野原重明先生も孫に先立たれたと嘆いておられた。

 いうまでもなく、 自分自身がいつまでも健康で、それ以上に家族も元気、という老後が理想である。

 願わくばそうありたい。

 想い描こう。

 理想の老後を。