想い鳥日記(omoidori`s diary)

日々のつれづれを心のままに、想い人に捧ぐ

植物の持つ力

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 もう十年以上も前のことであるが、つかみ合いになった生徒に首を絞めつけられて、頸部挫傷で全治一か月になったことがある。自習時間の監督の際、立ち歩く問題児に注意して、生徒に逆ギレされたのだ。身に着けていた金のネックレスで頸部が5センチくらい切れた。幸いネックレスがちぎれたため全治一か月で済んだけれど、あのまま鎖が切れていなかったらと思うとぞっとする。本当に中学校の教師は命がけだ。

 怒りと屈辱と悔恨と、これから報告せねばならない管理職やら、職員会議やら、教育委員会やら、その他もろもろの煩わしさに、どん底の気分で音楽準備室に帰って来たその時,花瓶に生けてあったトルコキキョウの花に救われた。

 花を見て、花に触れていると、不思議なことにすっーと心が落ち着いてきたのである。

あの時の気分は、本当に言葉に表せない。草花が何かの力で、ズタズタに傷ついた私の

心を慰めてくれたとしか言いようがない。今まで感じたことのない不思議な感覚であった。

 それ以来、植物の持つ不思議な治癒力を信じ、家の玄関やら仏壇は言うまでもなく、常に家の中に花を飾るようにしてきた。

 しかるに、最近、病院には植物を持ち込めないようになっている。昔は大きな花束を抱えてお見舞いに行ったし、病人の傍らに花を活けている場面もよく見かけたけれど、

 花瓶の水に対して免疫力の落ちている患者が感染症を患う恐れがありますので、花や植物の持ち込みを禁止します。

 というのが一般的だそうである。

 母の病院も殺伐としている。

 植物に力があるからこそ、唯一の生き物として茶室にも茶花を飾るのに、西洋医学を極めた医師の皆さんは、植物の持つ不思議なパワーをご存じないらしい。

 殺風景な病室に母を見舞うたび、ふと、そんなことを考えている。