想い鳥日記(omoidori`s diary)

日々のつれづれを心のままに、想い人に捧ぐ

小さな戦士

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 久しぶりに行った難波からの帰り道、新しくできた駅から、一人の少年が乗ってきた。一人で学習塾にでも通うのだろう。眼鏡をかけた小学校4,5年生くらいのほっそりとした色白の少年で、水筒と布のナップサックを背中にかけていた。

 少年は座席につくとすぐに、背中のナップサックを下して、中から計算ドリルと筆箱を取り出し、筆箱から鉛筆をゆっくりと探して、ノートのページを開くと計算問題を解き始めた。

 もうすぐ駅なのに、そんな時間あるのかなあと、余計なお世話だろうけれど、ひやひやして見守っている向いのおばちゃんなど、眼中になく,ひざに置いたノートがゆらゆら揺れるのを押さえながら、鉛筆を走らせている。えらいなあと感心しながら、ふと、ひと昔前のことを思い出した。

 12年くらいになるだろうか、息子の高校受験の年、元旦の朝から、ある有名私立の高等学校で模擬試験があった。保護者は皆、教育熱心なのだろう、早くから子供を乗せて送って来て、試験が終わるまで運動場に車を止めて待っていた。

 そして試験も終わり、子供を乗せて帰ろうとしたのだけれど、私の車は、奥の方に止めてあったため、右折をしないと、どうしても帰れない。それが、どんどん子供を乗せた保護者の車が来るため、曲がれないのである。誰一人として、少し速度を落として、車を入れてくれるということをしなかった。一台の車もお先にどうぞ、と道をあけてはくれなかったのである。

 ずっと待ち続けて、最後に出たけれど、このことは結構、衝撃であった。

 この有名私立高校で模擬試験を受けさせるような家庭は、お先にどうぞ、と人に道を譲るようなことはないのだな。After you.という概念はないのだな。と変に感心してしまったのである。常に受験に勝ち続けなければいけない家庭は、お先にどうぞ、などと言っていられないのだろう。何が何でも自分たちが先に行くことが大切なのである。

 そして、今思う、あのお先にどうぞ、と言わない家族は、今もトップランナーであり続けているのだろうか、今も、人に決して道を譲ることなく、勝ち組であり続けているのだろうか。

 電車はゆっくりと駅に着き、そんなことを思いながら、私は、駅の階段を駆け上がっていく、小さな戦士を見送った。