不測の事態から学んだこと
昨日、知り合いからの呼び出しで、いつもとは違うルートで帰途についた。
すると、なぜか県境の手前で車がまったく前に進まない。こんな渋滞は初めてである。
いったい何があったのだろうと、2時間くらいのろのろと進んでいた。
孝子峠をやっと超えてイオンモールへ差し掛かったところで、どうやら道が通行止めらしい。直進できずにみんなイオンモールの方へ入っていく。
しかたがないので、イオンの屋上に車を止めて、店内で事情を聴くことにした。
どうやらやはり事故があったらしい。通行止めのため車が南下できずに、大渋滞をおこしていたのだった。教えてくれた人は、車を置いて電車で帰るのだと言っていた。
どうしよう。ただでさえ今日は朝4時から起きて仕事に行っていたため、もう疲れ果てているというのに。早く帰って大河ドラマも見たいのに。
知り合いから電話さえなかったら、さっさといつもの高速道路で、もうとっくに帰れていたのに。と電話をくれた人が疫病神に思えてきた。
しかたがない。とりあえず、食事でもしよう。と今まで入ったことのないレストランに、すいぶんと並んで、ようやっと食事にありついた。
ところがこれが、意外においしいのである。渋滞に巻き込まれたおかげで、美味しい夕食をとることができたなあ、と思うと少し心が軽くなった。
店からでると、雨上りの中、色とりどりの噴水が、きれいな音楽と共にしぶきを立てて舞っていた。渋滞のおかげで、こんなきれいな風景も見ることができたなあ。
ついでに花でも買ってかえろう。
不測の事態はいつでも起こり得ることである。
不本意であっても、そこで遭遇したことを楽しむことができたら、人生を何倍も有意義に生きられるのではないか。
以前、斎藤茂太の母親が、飛行場での足止めの際、不平を漏らす人々をしり目に、悠然と謡の稽古をしていた、という話を読んだことがあるが、さすがに人生の達人である。
そんなことを考えながら、2時間後、通行止めの解除された道をすいすい走りながら
また一つ、生きる極意を学んだ。
不測の事態であっても、それを楽しむ余裕を持とう。